福島の桃源郷へ

夫と二人、こんなことに参加してきた。

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駅近くのイベント広場から、片道4キロちょっとのところにあるのは
これからが見ごろを迎える花見山公園である。

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お天気もイマイチで、私の写真の腕もイマイチなので
なんかくすんでしまう花たち…

ということで、天気が良くて、おそらくあと一週間後くらいに行けばこんな風景が見られますよ、という映像を貼ってみる。






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公園入口の駐車場のお休みどころでは、こんな光景が。

おひとり様おひとつ、ご自由にお持ち帰りください。

と、たくさんのヒガンザクラ、トウカイザクラ、レンギョウなどの切り花が。
これから山に行くので、いただくのは帰り道にしよう、とまずは花見山見学へ。

一時間後はこの桶は半分になってレンギョウなどもなくなっていたが、
夫と二人、つぼみがたくさんついた桜の枝を二枝いただいてきた。


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帰り道の道の駅で買った「酪王カフェオレアイスクリーム」
ご当地郡山市内にはどこにも売っていないので、見つけたら即買いである。



本日のお土産。


小桃の甘露煮
きゅうりの漬物
行者ニンニク
生シイタケ(お買い物袋いっぱいで500円!)
トマトの甘納豆

あんぽ柿
福島の酒蔵切手シート






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落ち着け、じぶん。(その2)

お風呂を洗って、お湯はりスイッチを入れて、
その間に、と思って前記事(その1)を書いて。

書き終わって、やれやれと思って風呂のふたを開けたら・・・
「空や~~ん!」

・・・スイッチをいれた”つもり”だけだったようです。


さて、改めてお湯を張って、浸かりつついろいろ考えてみた。

私が自主避難者にならなかったのは、どうしてなんだっけ。


あの時、原発の建屋が次々水素爆発で吹っ飛んだ当時。
みんなが不安でどうしたらよいか分からず、でもみんな危ないというし、
とりあえず遠くに逃げたほうがいいかも・・・
と、ほとんどの人が一度は考えたと思う。

私たちも、もし私の実家が県外にあって、
「避難してこい」
と言ってくれたなら、迷いなく一時避難したかもしれない。

あいにく、実家はたかだか数十キロしか離れていないところにあったし、
そのほかに頼れそうなところはなかったし。

何より、私も夫も
「避難するのでお仕事辞めます。」
というわけにはなかなかいかない仕事についていた。

もし、避難することを選択するとしたら
安定した生活、仕事、その他もろもろを、一度きっぱりと捨てる覚悟で決断をしなければならなかった。

そういう大きなリスクを払っても避難する・・・という決断は
あの時、当然のようにできはしなかった。

政府は避難しろとは言わないし、何より平和ボケな私たちは
自分たちに限って、そうそう深刻な状況には陥らないだろう、というような
根拠のない自信もあった。

(結果的に、深刻にならなかったのは、事故直後から決死の覚悟で収束させようと
 頑張った多くの方々の努力と、大いなる幸運のおかげだったと言えるのだが・・・)


今思えば、政府が言っていたことはあながち間違いではなかったことがわかる。
(判断や、伝え方まで容認する気は毛頭ないが)

たいした根拠も確証もなく、ただひたすら
「危ない、危険、避難せよ」
「福島にいてはいけない」
「一刻も早く、少しでも原発から遠いところに逃げろ」
とあおり続けたのは、ネットやTV、雑誌、ひいては新聞までも含めたメディアであった。

政府の発表は信用ならない。危険を隠している。
政府の発表を信じるな、今すぐ逃げろ。

というメディアのあおりで自主避難した人たちが、
6年たっても元の場所に帰れず、母子家庭になったり生活が破たんした人もいる、
と当のメディアが言う。

なんだかなぁ・・・である。


メディアは謝らない。
言いっぱなしである。
なぜなら、「報道の自由」という大義名分があるから。

「報道の自由」は確かに大切だけれど・・・

それと同じくらいに
「報道の責任」もあるのではないか。


ずっと前に書いたけれど、もう一度、さらに声を(フォントを)大にして紹介したい。


「事態がわからないときに、非常ベルを鳴らすのはマスコミの立派な役割。
 しかし、状況が見えてきたら解除のアナウンスを同じボリュームで流すべき」
 

(東京大学の坂村健教授)

元記事
http://abudant.blog.fc2.com/blog-entry-252.html


無礼者、名を名乗れ (その1)

今村復興相が、記者会見で自主避難に関する質問をしつこく繰り返す記者に
ブチ切れてニュースになっている。

ブチ切れた場面と、野党が「資質なし」と非難する部分だけが切り取られ、
あらら・・・
また復興相の交代か~?

なんて思っていたら、ネットに当の記者会見の様子が
動画でも文章でもしっかり載っていた。

(今村復興大臣記者会見議事録  復興庁)


あれはいかん。

あれは、あの場にいたら私でも激高する。

福島県民の一人として、聞き捨てならないところがいっぱいあった。


『自主避難』
・・・って、いったい何なんでしょうね。

事故当時ならともかく、もはやあれから6年が過ぎ、
福島県内の正真正銘の”避難区域”だったところでさえも
徐々に避難指示が解除されてきている現状。

結果的に避難の必要がなかった地域から、それでも
避難が必要、と”自主的に”判断して避難した方々が、
6年経った今もなお”帰れない”とおっしゃる理由と、その根拠は何なのか。

それがもし、「放射能への不安」だったとしたら、
その方たちへの支援は、住宅費や生活費ではなく、
不安を解消するためのカウンセリング費用なのではないか。

「放射能への不安」が原因で帰れない、と言っている人に
国が補償をするのなら、
その人曰く”帰れないほどの不安がある土地”に、事故後6年間も住み続けている
私をはじめとする多くの福島県民には、
いったい誰がどれほどの補償をしてくれるのか。
(誰もそんなこと望んでいないと思うけどね)


ただ福島県産、というだけで
まだまだ風評被害の実害を受け続けている、観光業をはじめ農林水産業の皆さん。

もはや補償もない中で、歯を食いしばって
「良いものを作れば、きっとわかってもらえる」
と頑張っている姿は、本当に福島県民として誇りに思うし応援したいと思っている。


あの、名前も所属も分からない、なんだか感じだけは超絶悪かった
”フリーライター”さん。

自主避難者に心を寄せることを別に非難するつもりはありませんが
もう一方の、
『避難しないで頑張ってきた人たち』にも同じように目を向けてやってはいただけませんかね。



ネイティブスピーカーなもので

4月に入って、新年度が始まったけれども
我が家はあらたまって新生活が始まる人は誰もいないので
今年の4月はただの「3月の次の月」である。

何が変わったかなぁ~
と考えてみたら、
そうだ、NHKの朝ドラが変わった。

とはいえ、そんなに一生懸命見ているわけではなく
どちらかと言えば不真面目な視聴者なのだが。


新しい「ひよっこ」の初回は、たまたま勤務日だったので
寝坊をせず、見ることができた。

さしあたってのお話の舞台は北茨城とのことで、
方言やなまりが福島と似てると言えばにているので
なんとなく親しみが湧くというものである。


先日、さっそく演者さんの茨城弁はご当地の方々には賛否両論…
というTwitterのまとめを見つけてしまい。

そりゃそうだろうなぁ、と思う。


時々、ドラマや時代劇などで会津を舞台にしたものがあり、
もちろん演者さんは会津弁を話すのだが、
聞いているとそれがどうにも耳障りが悪く落ち着かない。

数年前のNHKの大河ドラマ「八重の桜」では
そうそうたる方々が会津の人を演じて
会津弁を話したが、
どれもこれも、こちとらネイティブスピーカーからすると
(うむむむぅ~、なんか違う~)
とモヤモヤものなのである。

何がどう違うのか?!と問われても、
これまた明快には答えられない。

鼻濁音の案配がビミョーに違う、とか
イントネーションがミクロの単位で違う、とか
なんかそんな感じだ。

(一番しっくりしていたのは、西郷頼母を演じたご当地俳優の西田敏行さんだったが、
 彼も厳密にいうと中通り地方の郡山市出身で、会津の方ではないので
 ところどころビミョーになじまないところがあった・・・ように思う。)


小さい頃から周りにあふれ、日々浴びていた言葉というものは
いつの間にか、自分自身の中に”染み付いて”いるのだろうなぁ。


若い頃は、自分の方言やイントネーションが恥ずかしく、
東京に行ったときなどはずいぶんコンプレックスに感じたものだが、
今になると、不思議と愛おしく感じる。

それがまた、
「私も年をとったわけだわ~」
ということなのね。きっと。



トンネルをぬけるとそこは雪国であった。

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お彼岸に、会津の親戚のところにお線香を上げに行ってきたのだが、
これはその庭先の風景。

たかだか車で1時間弱なのに、あまりの違いにびっくり!

こりゃ、GWまで残るな~~ 

プロフィール

テント

Author:テント
福島の片隅でにゃんこ♂、夫、大学生の息子との4人(にゃん)暮らし。
(もう一人の息子は東京で就職、一人暮らし。)
日々ゆらゆら揺れる心を持て余し、それでも少しずつ前を向いて歩いています。
青空を見上げながら、ゆっくり進んでいきたいものです。

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